
コラム17回目 7/27
今日はある企業が主催する講習会にでかけてきました。
実は、企業の社会貢献の一環として、福祉施設に僕の講習会をプレゼントするという企画。
なんか、自分がプレゼントの対象になるとは恥ずかしい限りです(苦笑)。
そして、その企業が出している機関紙の編集者、カメラマン、ライターの方も同行して、その模様を次号に特集するとのことでした。
待ち合わせの駅に着き、皆さんにご挨拶をして、タクシーに乗り込みました。
実は以前もこのチームで取材をしたことがあり、気持ちはとてもリラックスして今日の打ち合わせをしていました。
しかし、初めてお会いする方もいるので、
「はじめまして。本日お世話になる岡田です。もしかして、施設の方ですか?」
と声をかけたところ、
「岡田さん、私、以前の機関紙の取材でモデルになった○○です・・・」
そう聞いた途端、急にその方の顔がはっきりと思い出されました。
確かに、2日間がかりで撮影をした時にモデルを務めてくれた編集者の方でした。
血の気が引いたというのは、表現ではなく事実だと思いました。立っていたら間違いなく倒れるくらい驚き、ひたすら謝りました・・・。
顔が思い出せないというのはかなりまずいと反省しきりです。
しかし、顔は覚えていても名前が思い出せないということは皆さんでもよくあるのではないでしょうか。駅でばったり会った友人に対して、内心で
「あれ、確か高校の同級生に違いないけど、名前はなんだっけ???」
と、何とか名前を思い出そうとしたり、相手の口から言わせようとしたり、落ち着かない気持ちを隠しながら話していたことがありませんか。
そういえば、自分は今、「先生」として講習会、講演会を多くこなしています。しかし、「先生」と呼ばれるほど人間が出来ているわけでもなく、だらしない奴だと自覚をしているので、どこか呼ばれて落ち着かない部分があります。
以前、ラジオで対談させていただいたある評論家の方はスタッフを通じて、「先生」と呼ばずに普通に呼んでほしいと言われました。さすが、世間のイメージ通り気骨ある方だなぁと思いました。実際にお会いしても真っ直ぐで凛としたたたずまいの素敵な方でした。
しかし、それは著名な方だから可能なのかとも思いました。
話していて名前が思い出せなくなった時に「先生」って便利な言葉だろうなぁと、ついつい呼ぶほうの立場で考えてしまうのです。
その意味からは「先生」と呼んでもらうのも、コミュニケーションの潤滑油になるのかなと思ってしまいました。
そのことから、気恥ずかしくとも時には「先生」と呼ばれるのも必要悪かなと(苦笑)・・・。